カテゴリ
以前の記事
2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 02月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
BE特別講義で座古先生にBE専攻の設立の理念や今後の期待についてお話しいただきました。 座古先生はBE専攻設立時に深く関わってこられて、専攻の根幹ともいえる理念を作り上げてこられた方のお一人です。 現在は、高度人材育成センターの特任教授をされておられます。 他の多くの専攻と異なり、ビジネスエンジニアリング専攻は特定の学術領域を基盤にしていません。たとえば、××工学専攻ならば××工学という特定の学術領域があり、それをよりどころとした特定の規範、文化を共有する専攻が成立しています。ただビジネスエンジニアリング専攻は、ビジネスエンジニアリング学といった学術領域は存在しておりませんし、教員の研究領域も工学であるものの多岐に分野がわたっています。そこで、われわれは教育に関する共通認識、育成すべき人材像を共有し、それにむけた教育に力を注いできました。 詳しくはホームページやこれまでのブログの内容をご覧下さい。 (むろん、研究活動もそれぞれの研究室で一線級の成果をあげています。) 座古先生のお話は、われわれの専攻のアイデンティティである、人材育成の根幹を再認識し続けることの重要性を教えていただきました。 就職活動など他の方々に 「ビジネスエンジニアリング専攻って何?」 って聞かれることがよくあります。 そのときに一人ひとりが自信をもって答えられるよう、自問自答を続けて欲しいと思っています。 その営みこそが明日のビジネスエンジニアリング専攻を作り上げます。 (松村) 講演中の座古先生 #
by osakamit
| 2011-08-10 13:15
| 教育
夏本番をむかえてセミも一段と元気に鳴いています。 1学期は終わりを迎えて、BE研究も今週末の成果発表会が催されます。 M1の学生はこの1学期行ってきたことを20分に凝縮して、どう話そうか四苦八苦、ディスカッションしている最中です。 さて、私の本棚の6回目は宮本常一の「家郷の訓」です。宮本常一というと民俗学の巨人、「忘れられた日本人」が有名です。学生の頃に「忘れられた日本人」を読んだのですが、どうもしっくり入ってこず、途中で読むのをやめてしまいました。それ以来、「町のなりたち」「村のなりたち」くらいしか読んでなかったのですが、何となくこの「家郷の訓」を手にしました。 この本はさまざまな村々のヒアリングをもとにしているのではなく、自分の故郷のことを書いたという点が異なります。ですから、自分の家族や村、地域の愛着が透けて見えて(特に父親)、一つの糸でつながれたエッセイが心地よいです。特に「よき村人」という章には感銘を受けました。 「かつてのよき村人といわれるものは先ず何よりも村の風をよく理解してこれに従うことであった。つまりその村の色に最もよく染まることであった。これは一見自らの個性をなくするように見えるけれども、それによってむしろ個性が活かされもしたのである。村人として共通のものを持ちつつ、十人集まってみれば十人十色であった。そして家々の風というものは皆少しずつ違っていた。村人としてはそういうことを知りつくしていないと新しい改革も新風の移入ももとは出来難かった。どこかに無理があった。」 仕事柄、いろいろな地域の住民の方々が地域のことを考えたり、行動を起こしたりするお手伝いをすることが多いのですが、いつも「地域や他の人々のことを自分のことのように考えるような人たちの規範が自然と広がっていくとどんなにこのまちがよくなることか」と感じます。 過度に進んだ個人主義が無縁社会をうみだし、その反省としてさまざまな縁を復活させようとさまざまなまちづくりの取り組みがなされています。こうした志縁は大切ですが、その一方で地縁と私たちは無縁でないことも忘れてはなりません。宮本常一が生きた昭和の初期のような地縁、血縁関係で強固に結びついた集団を作り上げることはできないでしょうが、その地域の基盤である「よき市民」をさまざまな活動の中から共有していく試みが必要ではないかと思っているところです。 実践のなかで悩み、モヤモヤした思いを引きずっていたときに、スッキリさせてくれたという意味で私にとって大切な本のなかの一冊です。 (松村) #
by osakamit
| 2011-07-27 18:03
| その他
倉敷です。多くの方々にご支援を賜り,ルーヴェン・カトリック大学(ベルギー)に半年間滞在しています。ご恩返しにベルギーでの滞在情報をお届けします。 ベルギーと聞くと,皆さんは何をイメージされますか? ビール? チョコレート? ワッフル? ベルギー(正式にはベルギー王国)は西ヨーロッパの中心に位置し,人口は日本の約1/10,面積は四国の約1.5倍という国です。 西ヨーロッパの中心という地の利を活かし,首都ブリュッセルにはEUの本部が置かれ,ヨーロッパの政治・経済の中心となっています。 北部のフランダース地方(オランダ語圏)と南部のワロン地方(フランス語圏)に分かれ,ルーヴェンはフランダース地方に位置し,首都ブリュッセルから列車で30分,空港から15分という交通の便利な場所にあります。 ルーヴェン・カトリック大学は1425年にローマ教皇のマルティヌス5世により創立され,現存する世界最古のカトリック系大学であり,フランダース地方では最大の教育機関です。 (16世紀にはエラスムスも教鞭をとったとか) 工学部を含む15の学部より成り立っており,阪大とも学術交流協定を結んでいます。 大学に登録されている学生数は36,892名(2010年2月現在)。 入学者数や卒業者数など各学年のデータは一般に公開されていないようです。その理由は何故?(詳細は後半の文章で) 大学のHeverleeキャンパス内には驚くことに「城」があります。中には講堂もあり,学位審査もこの建物の中で行われています。 城の前の緑に覆われた広場は雄大で,中世時代,城の領主がここで狩りなどをしていたとか。 キャンパス内の移動に自転車は不可欠で,自転車道が森林に覆われて整備されています。(松村先生が喜ばれそうです) 美しい自然に囲まれ,緑豊かな環境で学問に打ち込むことができます。 小川もありアヒルが優雅に戯れ,昼休みには川沿いに昼食を楽しむ学生の姿も見かけます。 6月末までは学期末の試験期間でした。 ルーヴェン大学の年間の授業料は約550ユーロ。日本に比べると格段に安く(本来要する授業料の大半は国民の税金が担っている),入学試験も日本のように厳しくないようです。 その分,進級試験は厳しく,最終学年まで進み卒業するのは入学者数の半数以下となる年もあります。 学生に進級試験を聞くと,やはり難しいそうで,単に出席とレポートだけでは通らない科目があるので真剣に勉強する必要があるとのこと。 大学の図書館は学生で満席の状態。学部生も大学院修士学生も皆,無言のまま熱心に勉学に励んでいました。 進級試験を経て,より選りの学生だけが残るエリート教育です。 こうした経験を経たドクターの学生やポスドクが,大学の研究活動や各種プロジェクトの中核となって活躍しています。 (倉敷) #
by osakamit
| 2011-07-18 23:58
| その他
夏まっさかりですね。 大学院入試の願書受付が7月19日(火)から始まります。22日(金)までなので、受験希望の方は、忘れないで出して下さい。 私の本棚、5回目はドストエフスキー作「地下室の手記」です。 実はあまり内容は覚えていなくて、「罪と罰」のプロッタ的な作品だったくらいの記憶です。ただこの本自体には特別の思い入れがあります。 M1の頃、1年間休学してアフリカをブラブラまわっていました。はじめての海外だったので、びびりまくって最初の頃はいろいろ荷物が多かったんです。マラリアの薬、替えの服、登山用の靴(一応、キリマンジャロ登山が目玉だったので)などなど。でもだんだんと向こうの生活に慣れてくると、「これはいらんわ」「これ、あげる」といった具合にどんどん荷物が減っていきます。 最終的に残ったのが、パスポート、現金の他は、パンツ1つ、日記帳、ペンそしてこの「地下室の手記」という本でした。べつにドストエフスキーが好きというわけでもなかったのですが、何となく持ってきて、日本語の活字が離れがたく、一種お守りのような感じで、ずーと持ち歩いていました。 いろいろな経験をともにした同志といった感じの本です。 もう20年も昔の話ですが、何となくいまだに本棚においてある一冊です。 (松村) #
by osakamit
| 2011-07-13 15:07
| その他
私の本棚シリーズの4回目は内村鑑三の「後世への最大遺物」という薄い本です。 内村鑑三と言えば、大正デモクラシー期に活躍した思想家で、アメリカ通のキリスト教徒、新渡戸稲造(「武士道」、5000円札)とも親交が深いことで有名ですね。 箱根で開かれた講演をもとにして起こされた作品です。 人が後世に何を残していけるのか、いくべきなのかについて考えを示しています。 彼が言うには ・お金 ・事業 ・言葉(著作) そして ・生き様 の4つを挙げています。 最初のお金は、そのものの意味ではなく、後世の人がそのときに必要なものにかえることができるという意味で使っています。震災復興にものよりも多くの義援金が集まったのと同じ意味合いですね。 2つめの事業は、土木屋(古いか?)の心を揺さぶる、社会資本のことを指しています。自分が死んだ後にも後の世のために資するものとして、ダムや鉄道などを挙げています。ここの記述を読むたびに高校生の頃に、自分の子どもに「この橋はお父さんが作ったんやで」といいたくて土木を選んだ、ういういしい気持ちを思い出します。残念ながら、その夢は破れてしまいましたが・・ 3つめの著作は、上手な文章ではなく、社会に対する自分の怒り、喜び、さまざまな思いを残して、後世の人に遺志を引き継いでもらうという意図です。大正・昭和の頃だと、言葉を残すというと特別な人しかできなかったでしょうが、インターネットが発達した現在ではずいぶんと恵まれていますね。 彼が特に力説しているのは4つめの生き様。最初の3つは特別な才能に恵まれた人しかできないかもしれないが、誰も可能な日々、まじめにこつこつと生きる姿こそ最も尊いと言い切っています。人を出し抜いたり、うまく乗り切ったりする姿は浅ましいという感覚さえ、失ってしまう世を後に残してしまうこそが大罪であり、その反対の人のために生きる、世のために生きるという生き様を残していくことこそが最大の美徳。 大正デモクラシーでさまざまな価値観が氾濫しはじめた時代に、彼は暗い将来を見たのかも知れません。 危機的な時代には強いリーダーが求められます。しかし、そうした時代こそ、大多数の平凡な人の生き方が次の時代を準備しているということを感じます。 平凡な私に力を与えてくれる書物です。 (松村) #
by osakamit
| 2011-07-06 21:08
| その他
|
ファン申請 |
||