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今回もBE特別講義の紹介です。 講師の先生は、前回の米谷先生とならんで2回目の登場の青木先生です。 青木先生は東大阪にある航空機の機体部品をつくっている工場の社長で、 東大阪の総力を結集した人工衛星「まいど1号」の呼びかけ人としても有名です。 たくさんの言葉をいただきましたが、私は言葉の裏にあるリーダーの責任の重さを痛感しました。 自分が決めた結果で周りの人たちのやる気も変われば、会社の浮き沈みが変わってくる。 ひいては、その人たちの生活、人生そのものも変わってくる。 そんな責任を背負っているから、リーダーと人からいわれるのだと思います。 「リーダー」という言葉は、甘いにおいを含んでいますが、責任とセットであることはつい忘れがちになってしまいます。能力やスキルは大切であると思いますが、その土台になる気持ちの部分の大切さを感じました。 行動に裏付けられた言葉は重い。そう感じた授業でした。 (松村) #
by osakamit
| 2011-06-22 14:25
| 教育
先日、神戸大学大学教育推進機構の米谷淳教授にBE特別講義で講義いただきました。 タイトルは、「コミュニケーションとリーダーシップ」 先生は、教育学や社会心理学をご専門にされていて、リーダーシップ理論だけではなくさまざまな教育実践をされておられます。 実践の中でさまざまな経験を積んだことを整理、理解し、次に生かすために理論を学ぶことは大切ですが、先に理論を学んであたかも自分は”知ったつもり”になることの危うさ、怖さ、脆さをおっしゃっていたのが印象的でした。 巷にはあらゆるノウハウ本があふれて、一見、失敗しないように配慮されているように見えるけれども、実はノウハウ本を見ることによって思考停止、「こういうときにはこうしなさい」「こんなときにはこうしてはいけない」に陥っているように思います。こうした自分の頭で考えない、判断しない、意志決定しない癖を付けてしまうと、なかなか抜けきれません。 (かくいう私もノウハウに従って、生きていくことができればどんなに楽かと思うこともありますが) そのなかでいま、M1が取り組んでいるBE研究は、自分で考え、自分たちで意志決定し、自分たちで動く、その結果、失敗することもしばしばです。ただ結果が失敗しようが、成功しようが、たいした問題ではなく、そのプロセス、自分(たち)で考えた経験こそが宝になります。 その経験を振り返って、理解するときに理論は役に立つのだと思っています。 講義の最後にみたDVDには、進学校のバスケットボール部が自分たちで考えだすことで、チームが強くなるプロセスを丁寧に描かれていました。きっと、あのチームのメンバーは、単にバスケットボールが上手に、試合に勝てるようになるだけではなく、生き方そのものを学ぶことができたのだと思います。 BE専攻の理念に通ずるところがあって、大いに共感しました。 (松村) 講義中の米谷先生 #
by osakamit
| 2011-06-15 13:19
| 教育
BE研究と並ぶBE専攻のもう一つの目玉、BE特別講義が今年も始まりました。 最初は、 「新産業創造と求められる人材」と題して、 後藤芳一先生からご講演頂きました。 後藤先生は、経済産業省で中小企業、福祉機器、パイプラインなどなど多種多様な部署での実績を積まれた後に、現在は大阪大学大学院工学研究科で教授をされています。 名だたる世界的メーカーから頼られている日本の中小企業の実態、シャンプー容器の側面にあるギザギザから始まる国際規格づくりなど、現場の生の雰囲気をよくご存じでしかもそれを一つの大きな力にまとめていくときの考え方など、いきいきとした話を聞かせて頂きました。 シャンプー容器の話は、「共用品の思想」(岩波書店)という書物にまとめられています。 単にユニークなアイディアで売れるものを作ったという話ではなく、 ・共用品という思想をわかりやすく示したこと ・日本初の国際標準化の規格を作りあげたこと が特筆すべき話と感じました。 まえのブログでわかりやすい思想は力をもつという話をしましたが、共用品はそのよい例で、思想が商品に力をあたえています。 ものづくりとは単にものをつくること、技術を磨くことだけを考えるのではなく、その裏にある原理原則を探究し、思想に練り上げることが重要であると感じました。 オリジナルなものを考えるときには、よって立つところがないので、どう決めたらよいかわからずある種の怖さが伴います。その怖さをのりこえて、責任をもって決断しなければならないのです。 そんな醍醐味を知ってしまうと、自分を追い込むことがいやにならなくなってしまうのだと感じます。 そういった仕事を将来やっていってほしいなと思います。 (松村) #
by osakamit
| 2011-06-08 07:14
| 教育
BE研究の中間発表会がありました。 4月から始まって2ヶ月、暗中模索で突っ走ってきた成果を発表。 まだまだ始まったばかりですので、方向性を示すところで終わっているグループが多いように感じました。 課題を設定するのがいかに難しいかをM1の皆さんは感じている頃だと思います。 これまでの人生では、課題は誰かが与えてくれました。 典型なのは、これまでの学校のテストですね。 でも社会の多くは、課題そのものがよくわからない、問題をいかに設定するかが問われます。 そんなことを学習できる機会ですので、M1の皆さん、頑張って下さい。 次の報告会を楽しみにしています! (松村) M2の先輩からの質問に答える、奮闘中のM1 M2からの質問(1年で成長するものですね) #
by osakamit
| 2011-06-01 23:00
| 教育
私の本棚、3回目はアダム・スミスの「道徳感情論」です。 アダム・スミスと言えば、国富論の神の見えざる手という言葉があまりにも有名ですが国富論と対をなす書物が道徳感情論だと思っています。 個々人が私欲を追求していくなかで、見えざる手に導かれて社会全体の利益が増進されているという言葉だけを取り出して、スミスが自由主義の権化みたいに言われていますが、彼が想定している人は利己心の固まりではではなく他人へのシンパシー(共感、同感)をもつ存在として描かれています。 前者については国富論で論じ、前者と後者のバランスについて道徳感情論で論じています。 国富論が書かれたのは1776年、イギリスの産業革命の初期、人々が専制から自由をえはじめた時期であることを忘れてはなりません。今の日本のように、自由が満ちあふれた時代ではなかったのです。アダムスミスがもし生きていたら、今の扱いに戸惑うのではないでしょうか。 道徳感情論の冒頭に以下のような表現で人間を定義しています。 --------- 人間がどんなに利己的なものと想定されうるにしても、あきらかにかれの本性のなかには、いくるかの原理があって、・・・・哀れみまたは同情であって、・・・・情動である。・・・この感情は、人間本性の他の全ての本源的情念と同様に、けっして有徳で人道的な人だけに限られているのではなく、ただそういう人々は、おそらく、もっともするどい感受性をもって、それを感じるであろう。 --------- このことから、アダムスミスは、他者への共感を土台としてそのうえでの利己的な行為を認めていることがわかります。特に前者の共感については、国富論は最初書いたまま改訂していないにも関わらず、道徳感情論については死ぬ間際まで改訂をし続けていることから、より重要であると考えていたのではないでしょうか。 われわれの分野では、人はより得になる選択肢を選ぶという原理で人の行動モデルを設定することが多いです(もちろん、さまざまな修正モデルが提案されていますが)。一般社会においても、自分の得を考え抜いて選択するのが”合理的”と考えて、そうではない選択をする人は”合理的でない”から、一段低くみる傾向がある気がします。 人間(人と人間の違い)はそういった道具的合理性だけで判断するだけではなく、それとはまったく異なる論理で考え、生き方も存在することを忘れてはならないと思っています。先人と言われる人たちは、社会をどう捉え、どういう社会を実現するかをバランスを取りながら考えていて、蛸壺的な考え方にとらわれていないというのを感じた書物です。 (松村) #
by osakamit
| 2011-05-25 10:09
| その他
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